失うということ
何かを手にしたときに、
それを失うことを考えるだろうか。
何かを失ったときに、
それを再び手にすることを考えるだろうか。
圧倒的に、後者は手を挙げる方が多いと思う。
しかし、世の中失ったら二度と帰ってこないものもある。
限りある命は、かけがえのないもの。
本日に至って、ご冥福をお祈りいたします。
自分は、今日職を失う。
自ら選んだ道だけど、
何ら後悔はない。
新たなスタートを手に入れた、と言える。
表裏、陰陽、昼夜、etc。
世の中全て、コインと同じ。
出会いと別れ、手に入れることは失うこと。
失うことは、手に入れること。
風ぐるまの先に。
普段は遠くに見るだけのものを、
近くから眺める。
普段ありふれた日常を、
遠くから見下ろす。
見方を、角度を変えるだけで、
こんなにも知らない世界はあるようだ。
自分が過ごした時間なんて、
正しかったと、間違っていたと考えるのは
時間の無駄なのかもしれない。
だって、
それはきっと、偏った物差しで測っただけの、
ひとつの見解でしか
ないのかもしれないのだから。
さあ、明日は何を目指そうか。
それが決められる毎日なら、
それはきっと明後日も続いてゆく。
俺式三社参ハーフマラソン
あけましたおめでとうございます。
鹿児島にも、大きな神社がいくつかある。
元日ともなれば、たくさんの人出で賑やかに。
しかし、
人混みは苦手、
渋滞はもっと苦手、
街中で騒ぎ立てる連中もいそうな時間帯は絶対的に避けたいという、わがままな思いがある。
そうか。
それなら、人があんまりいないとき。
早朝だ。
でも車で行ってもなんだか味気ない。
そうだ。
それなら、走っていけばいいや。
急遽決定。
俺式、三社参りハーフマラソン(仮)だ。
グーグルマップで調べると、21キロは軽く超えていた…
が、約3時間かけて走りきったのであった。
帰宅後の風呂は、最高だったなあ。
さあ、今年はいい一年になるかな。
今年も宜しくお願いします。
起点
終わるということは、始まるということ。
泳ぐということは、生きるということ。
生きるということは、苦しむということ。
年月とともに濁っていく自分の目の中にも、
深海の中で見えない光でも、
光だと信じられるものがあると信じて。
越境
ひとつのボーダーラインを越えた先には、
潔さと素直さが溢れていて。
寂しさと焦燥感が覆い被さるかと思っていたけど、それはちょっぴりで。
今までの自分は何だったのだろうと考えながらも、かつての自分はそんな境地には立てなかったと思う。
自分に素直になろう。
人には正直になろう。
意外にも、考えれば考えるだけ、堂々巡りのことが多々ある。
そんな、熱くも冷静な夜。
音符にまつわるエピソード:④
日記をつけることは、昔っから苦手でした。
たいてい三日坊主。
なので、もちろん何も残ってはいません。顔本とかブログとかには、残骸が少しありますが。
何気ない毎日は、何気なく過ぎて、忘れてしまいます。でも、人って、わざわざ残さなくてもいいくらい印象の強いものから、日記に書いてしまうものだと思います。
だからこそ、
何気ない毎日を日記につける必要があるのかもしれません。
何気ない毎日が、どんなにかけがえのないものか気づくために。
ダイアリー/GOING UNDER GROUND
正直な総括。
10年続けた仕事を、辞めようと思い立った。
しかも、決断に至ったのは僅か4日。
どう考えても、衝動的で後先を考えていないと言われても仕方ないだろう。
理由は大きく3つある。
ひとつは、今の会社・業界に、未来が見えなくなったことだ。
自動車業界は、大きな節目を迎えている。
急激に成長を積み重ねてきた、ある種異常ともいえる産業かもしれない。
しかし、これは実は数十年前に成長は止まっていたと僕自身はとらえる。
そもそも、もうこれ以上裾野が広がることは考えにくい。今あるパイを、ただ取り合っているだけに過ぎない。
作り手であるメーカーも、それは遥か昔から気づいていて、その矛先は海外へとシフトしている。
それはどんな分野でも当てはまるのかもしれないが。
会社に自分が一番危惧することは、そうなった現状を信じず、いつまでも過去の成功にとらわれ、変化することを恐れている人々が蔓延っていること。また、そういった人々が評価される組織。そして、新しいアイデアが淘汰される風通しの悪い風潮。
特に、自動車業界はそんなところは多い。
爆発的な利益と、急激な成長。
数字は裏切らないという、冷徹な実績至上主義。
人と人でしか生まれない繋がりに、大きく水を差す非情なまでの会社第一主義。
それは、現場で働いてきた無数の社員達の、綺麗事ではない、本物の血と汗と涙と、心労と、取り巻く家族と自分自身を切り刻んできた負の財産のおかげで成り立ってきた幻想だ。
過去を再びこの世に呼び戻すなど不可能だ。
たとえ同じかたちをしていても、それは同じものではない新しいかたち。
それを、真に受けとめ、変わっていく気概を持ち続けるところだけが、今後生き残っていくのだと思う。
というより、そうでなければ淘汰されて然るべき、とも言える。
…などなどと、一生懸命に考えたが、もうめんどくさくなっちゃった。
続く。