音符にまつわるエピソード:②
モノノケハカランダ/フジファブリック
これも大学一年のときだったかな。
当時、ケータイでラジオを聴くのがマイブームだったのだけど、そのとき耳を引っ掻いて、爪跡を残されたのを覚えてる。
ギターも、ドラムも、キーボードも、ベースも、ボーカルも、みんな違う方を向いている感じなのに…
なぜかひとつにまとまってる。
世の中今や、SNSはじめ、馴れ合いや気ぃ遣いで、仲良しや友達を装う姿がたくさん見受けられるが、そんなものに真に響くものがあるのかはわからないけど、
この方々を聴いていると、そんな誤魔化しはまやかしなんじゃないか、と教えてくれた。
過去形なのは、ボーカルの志村正彦氏がこの世にいないから。
新しいフジファブリックも素敵ですが、
これはあくまで昔話になりますので。
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過ぎゆく日々
夕暮れに 照らされる街 賑やかで
疾る我が身を 誘いつつ
今年はいろいろあったけど、
なにひとつすぐに思い出せない。
去年の方がよく覚えているのはなんでだろう。
ランをしながら重ねた日々に、さらに
ランにて日々を重ねる。
音符にまつわるエピソード:①
はじめて聴いたのは、大学一年のとき。
正直、歌詞の意味を理解するだけのキャパシティも人生経験も浅い中、リズムとメロディーだけでなんとなく好きだった曲。
あれから10年以上経った今、改めて聴いても色褪せてない。
しかしそこに、歌詞の世界をイメージできることに思わず鳥肌が立つ。
あの頃のバカ素直さと、猜疑心でまみれた今の自分がオーバーラップする。
雨の朝に、優しく覆い被さる。
差別
子どもを連れて、とあるレストランに行く。
丁度昼時で、家族連れも多い。
子どもがいれば、それなりに騒ぐわけで。
世の中が、差別を無くそう!相手を思いやろう!と謳うが、果たしてそれが身の周りでどれほど行われているだろうか?
ん、待てよ?
「幸せにしてあげたい」ってのは、
相手のためを思っているようで、実は自分のエゴの押し付けで、
「幸せになってほしい」ってのが、
真に相手のためなのかもしれない。
馬刺しを食べながら、ふと思った熊本の夜。