夢の中で。
夢の中では、何もかも自由。
誰に制約されることもない。
夢の中だけで、
せめて夢の中だけでも。
一緒にいさせてください。
誰もいない、
誰も見ていない時間の中で。
夢と現実の境界線
慰安旅行にて、南の島へ。
かつて足を二度運んだことがある。
一度目は、11年前に野郎どもと。
二度目は、嫁さんと。
今回は、社員たちと。
目的はそれぞれ異なるが、
観光名所はだいたい網羅していた。
ので、
できれば見たことのないものを見てみたかった。
普段国産車に携わる仕事をしていると、乗りたくても乗れない車がありまして。
そう、輸入車。そしてオープンカー。
ただ、
二人しか乗れません。
興味のない人を巻き込むのも忍びないし。
青い空、エメラルドブルーの海、
そして
黄色いクルマ。
感動を通り過ぎて、このまま息絶えたいとさえ思ってしまった。
夢をロックして、現実をかなぐり捨てて。
その境界線で、今日も生きてゆく。
しかし、いい旅だったなあ。
■
かたちあるものは、いつかはなくなる。
同じものが、同じかたちで残ることは、
絶対と言っていいほどない。
でも、かたちのないものは、
おそらくこの限りではない。
想いとか、気持ちとかね。
答えをもとめて
なんにだって、答えを求めよ、と教えられて育ってきた。それは、考える余地すら与える隙はなかった。
とにかく、至極当然かの如く。
けど、
今となっては、
答えを求めたくないものもあるわけで。
答えを知るのは簡単だけど、
答えを知ったら、
全てが終わり、
方程式は完成する。
成り立たない方程式の狭間で、
もどかしい心地よさがあることを
知ることが、ある意味人間らしさなのかもしれないと思う、晴れた午後。
あの日と同じ、この道を。
ブランクとブランド、そしてブランコ。
約一年ぶりに帰ってきてしまった。
もう帰らないと決めたはずだったのに。
自分らしいといえば、自分らしいか。
一年もすれば、世界は全く違う。
取り巻く環境も変わる。
ブランク
というネガティヴな捉え方もあるけど、充電期間といえば聞こえがよい。
ブログという媒体は、人によって様々な意図をもって利用される。
フォロワーを増やす、備忘録にする、共通の趣味を持つ人を見つける、友達をつくる、etc。
自分は、思いの捌け口として利用する。
別に、誰に見てもらうでもなく、ただただ文字を羅列する。
案外、すっきりするものだ。
ブランド
という言葉がある。
シャ○ル、グ○チ、プ○ダ、エ○メス、etc。
もしくは、経歴、学歴などにも用いられる。
縁のない人生を重ねてきたが、
やはり今でも憧れはない。
ブランド自体を否定するわけではないが、
ブランドを身につけているからすごい、とは思わない。
ブランドは、人に見せびらかすためにあるわけではなく、
自分自身を高めてくれる、ひとつの要素。
ブランドの意図を知り、背景を知り、共感できるレベルに自分が達したときに初めて、
輝きを生むような気がします。ただ買えばいいってもんじゃない。
と、
公園のブランコを眺めながら、
一年前と変わらず、行ったり来たりの思いを繰り返す自分がここにいましたとさ。
続く
音符にまつわるエピソード:③
またまた大学一年のとき。
とにかく、自分と向き合うことに時間を費やしたのを覚えてる。
とくに洒落っ気もなく、色恋沙汰に触れる機会もなく。
当時バイトをしていたが、だいたいシフトは18時から24時だったかな。
原付で通っていたので、イヤホンを耳にして爆音で聴いて帰ってたな。(本当はいけないんだけど)
「都会の空は濁るのに」
空気の綺麗な田舎だけど。
「意味もなくなんだか眠くないんだよ」